新着情報

駅弁、駅そば・・・米原「井筒屋」さんありがとうございました

2025年02月03日

米原の井筒屋さんがこの2月で閉業されるとの報道を受け、懐かしさに癒されたく居ても立ってもいられなくなり先日お伺いしてきました。

子供の頃は当たり前のように国鉄の主要駅にはその土地ならではの駅弁がありました。私が住む大津駅でも駅弁がつくられ売られていたんですよ。そう萩乃家さんでした。

その当時の時刻表にはページに掲載されている鉄道線にひもづけて、その欄外に駅名と販売されている駅弁名が所狭しと並んでいたものでした。そしてそれらを眺めては旅の妄想を膨らませてましたね。

コンビニやホカ弁などなく、スーパーですら箱詰めの弁当が売られていたかどうか・・・そんな時代に生まれ多感な時期を過ごしたものには、駅弁や駅そばがひとつ減りふたつ減りそしていよいよ絶滅危惧業種になってしまっている現状が寂しくてしかたありません。

当日お昼は米原井筒屋の代名詞である「湖北のおはなし」ときつねうどんを井筒屋キッチンでありがたくいただき、そしてお土産に予約していた「鱒寿し」をその晩に家族で食しました。

Ah~、でもご苦労様でした。ありがとう、おいしかった・・・  y.terai

追記;井筒屋さんの他に、敦賀・塩荘さんの「鯛の舞」が映っているのは午前中に三方五湖へカモなどの渡り鳥に会いに行ってたからですね。まぁ、思い出にご愛敬ってところでよろしいかと・・・一緒に納めた一枚でした。

 

2025年2月号テライ通信

2025年02月01日

テライ通信2月号

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2月臨時休業のお知らせ

2025年01月18日

社員研修実施のため、本店、瀬田店とも2/18火を臨時休業いたします。

なお2/19水が定休につき連休となりご不便おかけいたしますが、よろしくお願いいたします。     テライ電器 本店、瀬田店

 

正月旅 小豆島

2025年01月08日

エンジェルロードを部屋から眺められる宿に泊まり、朝の引き潮の時間帯に島へ渡りました。

これが近くからはひとつの島に見えていたのですが、このあとお伺いした眺望抜群の西之瀧さんから見ると3つの島であることがよくわかり驚きでした。何事も遠近両方で見ないと本質はわかりにくいのですね、勉強になります。

前日に迷路の街「土庄」はレンタサイクルで十二分にうろつきまわったので、今回の旅の最大目的地「オリーブ公園」に向けレンタカーを借り9:00に土庄の街を出発です。

その途中、地元で敬われ親しまわれている巨樹としてNHKで以前に紹介された土庄郊外・宝生院のシンパクさんが気になっていたので、お会いしに立ち寄りました。

そうして朝一に神聖で清々しくありながら力強い生命力を感じるお姿や周りの空気に触れ、すっきりした心持ちでオリーブ公園へ向かいます。ここは同行した娘たっての希望があった場所。芝生の丘に建つ風車をバックに貸出の箒に乗り、「魔女の宅急便」の主人公気分に写真が撮れます。が・・カメラマンがド素人のわたしなので数えられないほどのtakeを重ねたのでした・・・トホホホホ・・・。

このあとは前出の西之瀧さん立ち寄り後、棚田広がる中山集落を眺めながらホッコリ滋味あふれる食事のできる「こまめ食堂 」で棚田のおにぎり定食をいただきました。小さいながらも鯛の素揚げがまるまる一匹ついており、棚田米とあわせてわたしの体は満足にフル充電状態となりました。さぁ次の最終章へLet’s go!です。

コース最後のデザートはわたしの大好物・趣ある街並みめぐりで、「醤の郷」と呼ばれる馬木と苗羽の集落を訪ねました。そこでの街ブラ後は、醤の郷から車で30分ほどかかる出港地福田のフェリー時間にあわせて「小豆島酒造cafe」で抹茶オレをいただきながらのんびりと島時間を振り返りました。

 

そして福田港から、Ahaaa・・・・明日から仕事だな・・・小豆島よまた逢う日まで、ゆったりほっこりを残しておいてねと願いつつさよならしました。  y.terai

正月旅 まずは高松!

2025年01月07日

高松に立ち寄ってから、小豆島へ行ってきました。

まずは高松、丸亀町あたりを散策。高松市はわたしが住む大津市と同じ中核市指定で人口は約41万人、四国では松山に次ぐ人口規模があります。大津市の人口は約35万人でわりと近いように思うのですが、街の華やかさは悲しいほど差を感じてしまいます。地域での経済的・商業的位置づけがここまで違いを生みだしてしまうのですね。大津は独自の経済圏をもてずに、京都経済圏さらに広範囲で見れば大阪経済圏に飲み込まれてしまっています。完全なベッドタウンですね。実際、隣町草津のほうが人口に関係なく賑やかで、近隣市町村から大津へわざわざ買い物に来ることなどないのが現状です。

そうなったのは、京都の甚大なる影響力の強さと、湖と山に狭く細長くはさまれた地形で街のハブをもてなかったこと、堅田・坂本・大津・膳所・石山・瀬田と出自の違う街が時代の要請でくっつきながらもどんぐりの背比べから抜け出せなかったこと、そしてここまでのことと大きく関係して決定的だったのが昭和後半からの交通体系が大津をpassするように形づくられてしまったこと・・・。それが住みよいながらも、物足りなさを感じるいまの大津にしてしまったのかなと改めて考えさせられました。

Haaa・・・、気を取り直すのに「えん家」で讃岐うどんをかっこんで、「umie」でゆっくり落ち着けたのち、まだ大津への歯がゆい想いを残しつつも小豆島へ高速艇で向かいます。     y.terai