日光を見ずして結構と言うなかれ・・・

2025年09月27日

9/23祝、24水と店休みが続くとわかっていたので、早くから計画していた日光と那須への家族旅行に出かけてきました。

マスコミでよく取り上げられ興味深い地域ですが、関西からだと東京経由となりどうしても行きづらい感じがあります。わたしの家族でもいままでに栃木県へ行ったことがあるのは自分だけ。

世界遺産・日光、皇室御用邸があり上質イメージな那須・・・一泊二日ながら家族それぞれに複数のガイドブックやインターネット・テレビからの情報でイメージを膨らませ、それを長男がまとめた充実スケジュールのもと意気揚々と栃木へ足を踏み入れました。

まずは那須!お目当ての蕎麦「石心」、ベーカリー「ペニーレイン」、チーズガーデンのカフェレストラン「しらさぎ亭」など名の知れた飲食店はどこも長い待ち時間で短い旅程を考えるとあきらめざるをえませんでした。日程的に仕方なかったとはいえ、時候のよい祝日に首都圏から人気のお出かけスポットとなるとこんなもんなんでしょうネ。まぁそれでもチーズガーデンでお土産を選んだり、ペニーレインにいたっては宇都宮駅東口宿泊ホテル近くに支店があってそこでお目当てのブルーベリーブレッドを手に入れたりとそれなりに成果はありました。

宿泊は宇都宮駅東口ウツノミヤテラス上層階に位置する「カンデオホテルズ」。眼下すぐ近くには個人的目的であるLRTライトライン、そしてJR宇都宮駅に出入りする列車が眺められ、そのうえ駅そばなのに大浴場完備でコスパもよくさすが右肩上がりで成長続けているグループだなと感心しました。

宇都宮では夕食に餃子メインの居酒屋「芭莉龍」、栃木のフルーツといえばいちご「とちおとめ×芭莉式」のアイスをいただき、どちらも家族の評価はとてもよく宇都宮は好印象のようでした。

そして翌日2日目。ひとり朝早起きをし始発から2番目のでお目当てのLRTライトラインを終点まで往復。

人口50万規模の都市の交通インフラの手本となって、人と環境にやさしい乗り物としてヨーロッパのように日本全国へ広がっていくことを願っています。

そしてホテルでの朝食後、家族そろっていよいよ日光へ!京都を初めとした地元の寺社仏閣に慣れ親しんでいるものには、やはり東照宮は異質、でもだからこそ興味深くじっくりと時間をかけて見る価値があります。見ざる聞かざる言わざる、左甚五郎作といわれる眠り猫、鳴き龍、家康公墓所など見どころ満載で、ちょっとしたテーマパークのようでした。これでわが家族も面と向かって「結構、ケッコウ」と言ってよさそうですネ。

昼食は西洋料理「明治の館」で名物オムレツライスとミンチカツレツをいただき、その後カナヤホテルにまわりお茶していると早いもので帰りの電車時間近くになっていました。

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トヨタレンタカー那須塩原駅営業所で借りた車を日光駅前営業所に返して、東武日光駅へ。駅前にはかつて日光市内を走っていた車両が展示保存されていました。そうそう那須から日光へのワンウェイ料金は、この区間での利用が多いのか550円税込ととてもリーズナブルなのでおすすめです。

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帰りは下今市で乗り換えスペーシアXで東京へ。久しぶりの4人揃っての家族旅行、よい思い出となりました。    y.terai

 

瀬戸内めぐり

2025年08月18日
父母が浜夕日

ひさしぶりのぶらり旅、瀬戸内を岡山笠岡から香川多度津へ。北木島、真鍋島、佐柳島と渡りました。そして日の入り前にあわせて父母が浜に立ち寄り、丸亀泊。うどんと骨付きどりを堪能して就寝。翌日は塩飽本島へ往復、丸亀に戻ったらもう一度うどんを食し、現存天守のひとつ丸亀城へ。帰り道の岡山では岡三市場、奉還町、倉敷玉島とレトロを漂いつつ、おかでんを乗りつくしてからチャギントンミュージアムにも立ち寄ってみました。

備讃大橋朝日
おかでんチャギントンミュージアム

教訓;公共交通機関のない北木島で、採石場のある金風呂・豊浦地区から真鍋島行が出る大浦港まで行くのに、事前プランでは白石島経由で船を乗り継いでとしていたのですが、当日その場で徒歩ならどのくらいかとスマホで調べたら、距離は約3.5キロで45分から1時間で着くと教えてくれて、大浦港出港まで45分ほど猶予があったので、まぁ自分の足なら充分間に合うはずと力強くウォーキングスタート!

北木島採石場跡                                                              出港まで残り20分を切って、順調に来てるかなとスマホ地図で現在位置を確認してみたら、まだ2キロ以上ある模様。アララおかしい、これはやばし!乗り遅れると週に土曜だけ1便運航の真鍋島-佐柳島定期船に間に合わなくなり、この後の旅程が大きく狂ってきてしまう。晴天かつ炎天下、大汗間違いなし、熱中症要注意のなかでしたが、そんなことも言ってられずに、以前も大分佐賀関で愛媛三崎行きフェリーに乗ろうとして同じようなことをしでかしてたなと悪しき記憶を想い出しながら必死に2キロ以上走りました。最後は港に入ってくる船を眺めながらのラストスパートでした。

あとで何でやねんと10年ほど前の地図帳を調べると、その頃は細いながら斜めに突っ切るような道があって使われていたようなのですが、いまは海岸沿いに車の走りやすい道が整備され、大回りだけれど車はそのほうが安全で早いのでしょう、以前あったであろう道は使われなくなったのかスマホ地図からは消えてしまっていて、それで海岸沿い大回りの道を疑うことなくただただ歩いて進んでいたようです。何という不一致!そうなると距離的には5キロ以上あり普通に歩いては1時間でも到着できなさそうでした。

さてスマホはどの道で案内してくれたのでしょうか?いまだ不明です。とにもかくにも疲れ果てました、トホホ・・・     y.terai

重伝建 笠島集落
笠岡フェリー
多度津フェリー

大地のすごみを感じる伊豆大島へ

2025年05月10日

地元で御神火と崇められる活火山「三原山」のある伊豆大島へ行ってきました。

さるびあ丸で、東京竹芝から朝6:00に岡田港へ到着。さぁ大地の力あふれる伊豆大島を巡りましょう。

三原山頂お鉢巡り 火口すぐ近くまで近寄れます 細いながら水蒸気たなびく箇所もありました。
大地の履歴書 地層切断面、通称バームクーヘン
神秘さ感じる泉津切通
地元の氏神様、野増大宮神社
海岸近く元火口に雨水溜まり池となり、人工的開削で海とつなげ風待ち港として繁栄極めた波浮港
伊豆大島に地表流れる川はなし こちらは集落を守るのに火砕流や土石流を迂回させるために造られた人工流路

y.terai

 

ひめの餅

2025年04月10日

今回の旅のもう一つの大きな目的がひめの餅!新庄村特産でその前評判はきめ細かく伸びがよく日本一おいしいかもと期待させられる逸品。

餅好きのわたしの垂涎の的。それも実は一昨年冬に現地で食べそこなっているので今度こその想いがひとしおでした。

そこで道の駅併設の食堂でいただいたひめっこ善哉とひめっこ雑煮。このお餅は、でしゃばることなく他の食材と一体になって雑煮なり善哉をつくりあげてるなと感じられました。普段パック餅に食べ慣れている口には、もったいなかったかもしれません。

それでその特別感をまた自宅でゆっくりと味わえるようにとパック豆餅を自分用に購入しておきました。焼餅にしてみようかなと考えています。   y.terai

 

醍醐桜

2025年04月10日
岡山真庭・醍醐桜 2025.4/9

 

岡山中山間部の後醍醐天皇伝説が残る山里に生える一本桜。岡山県一の大木だそうです。気持ちのよい晴天の下、まさしく満開で迎えてくれました。

今回はこの醍醐桜の開花状況にあわせて日程調整をし訪れたのですが、他にも写真のとおりで春を充分に満喫させていただきました。  y.terai

姫新線月田駅
津山鶴山城

能登を思います②

2025年03月28日

今回のルートは、夜行バスで早朝に金沢駅到着、JRで口能登近くの宇野気まで行きそこでレンタカーを借りて、気多大社⇒妙成寺⇒福浦集落⇒能登金剛⇒黒島集落⇒総持寺⇒輪島市街⇒白米千枚田⇒珠洲市街⇒見附島(軍艦島)⇒宇出津市街⇒穴水駅とその日の夜まで廻らせていただきました。

黒島集落旧角海家住宅前

いままで訪ねる機会がなかった輪島門前地区。重要伝統的建造物群保存地区指定の黒島集落、曹洞宗大本山総持寺祖院にはずっと以前から訪問を熱望していたのですが、今回このようなことで足を踏み入れさせていただくことになろうとは・・・。

総持寺祖院の拝観は建物の損壊激しくいまだ平常通りにできませんが、受付でお断りすればパンフレットまでいただいたうえで快く境内を回らせていただけます。明治の大火後に横浜鶴見へ移るまでは、こここそが永平寺と並ぶ曹洞宗大本山であった風格が建物こそ傷みさえすれあちこちから感じられます。

門前から輪島市街へは直通路が復旧できていないので、穴水方面へ大きく迂回するかたちで向かいます。輪島市街では大地震でシンボリックに報道された河井小学校前交差点、崩壊し倒れ込んでいた輪島塗の会社ビルは犠牲者を出した隣家とともに公費解体されていました。そして続けてその奥に朝市通り建物火災跡の更地が広がっていました。

旧珠洲駅。ホームがめくれ跳ね上がってしまっています。

ただ災害報道の中心であった輪島市街、珠洲市街の被害の大きさはテレビや新聞で事前に知らされていたのでわりと冷静に受け止められたのですが、それ以上に衝撃と深刻さを感じたのが珠洲市街から5キロほど離れた鵜飼集落でした。珠洲では飯田に次ぐくらいのわりと大きな集落であったはずですが、中心市街地のようには鉄筋・鉄骨製建物はなかったと思われ、残っている家屋は本当に少なくほぼ更地が広がっている状況でした。見附島(軍艦島)へは主要道である内浦街道で幅20Mほどの鵜飼川を橋で渡れば5分かからず行けるはずなんですが、肝心の橋が崩壊したままで通れず集落外れを通る国道へ迂回しなければ行けませんでした。その軍艦島も舳先が崩れてしまっています。

自然の脅威に一瞬で消えてしまうひとの営みのはかなさと、それとは裏腹などん底から再び立ち上がろうとするひとの芯の強さを、いまの能登には感じれます。能登早期復興への願いをより強くするとともに、日本各地で繰り返されてきた事象なだけに明日は我が身と真剣に考えさせられる一日となりました。    y.terai

追伸;いまわかったのですが鵜飼集落は大地震による津波被害がもっとも大きかったようです。時事通信社が災害直後の鵜飼集落の状況をドローンによる空撮映像でユーチューブにあげています。  3/30

能登を思います

2025年03月26日
輪島門前 総持寺境内

能登の度重なる自然災害後、マスコミの報道だけで現地の生の状況がずっと気になっていました。

能登にはわたしなりにいくつかの思い出があります。

高校生の頃、鉄道好きの友人3人で国鉄と路線バスを乗り継ぎ真冬の半島を一周した思い出。波の花を初めて目にしました。そして帰るころには大雪になり、金沢から乗る予定の夜行急行きたぐにが相次ぐ他列車運休のなかどうなるか果たして帰れるのかしらと心細く思案していたなか大幅に遅延しながらも深夜に到着、それで満席すし詰め座れずにようやく出発したのはよかったのですが、今度は途中の南条駅で何時間も足止めされ淀む空気の車中で心身ともに疲れはて気分が悪くなりホームに出て降り積もる雪のなかへたりこんでしまったのを想い出します。さらにようやく帰れはしたものの輪島の朝市で家族へのお土産にと買っておいたわかめがビニール袋のなかで台無しになってしまっていてがっかりでした。

また大学生の頃、サークルの夏合宿が富山・氷見であったので、野郎ばかり数人で車を借り能登まで足を伸ばし、当時の国鉄輪島駅で野宿をした思い出もあります。当時は誰もが運転免許取りたてで、能登金剛あたりと千里が浜なぎさドライブウェイでトラブったような記憶が残っています。

そんな苦い思いをしながらも、その後も迫力ある七尾の青柏祭を拝見したり、和倉温泉にゆったり浸かったり・・・。と再訪しているのは荒々しくもそれ以上に優しさを感じられる能登に惹かれてのことだったかといまになって感じています。やっぱり「能登はやさしや土までも」ですね。そして春になったらまた一人ぶらりと行ってみようかとプランニングを進めていた矢先での災害発生でした。

それで店では少しでも復興の力になれればとパナソニックフェア記念品に能登産品を採用させていただいたり、忘れてはいけないと目立つところにメッセージボードを掲げたりしてきましたが、現地に赴くのは復興ボランティアに参加できるわけでもなくその様子を遠目に拝見するだけでは被災された方々に失礼極まりないと考えいままで自重してきました。

しかし大地震から1年、そして豪雨災害からも半年近くが経ち主要道路も繋がりつつある現状を知り、復興の邪魔にならない程度であれば旅人も受け入れていただけるのでは、そして現状を知ったうえで能登復興の思いをより強くもてれば許していただけるのではと勝手な考えが芽生え、恐る恐るながらも先日日帰りで訪ねさせていただきました。  続く  y.terai

 

広島 わたしの自由行動時間②

2025年03月20日
便利さと引き換えに、もうすぐこの光景も見れなくなります。なので見納めしてきました。
大衆酒場の名店。久しぶりにしゃこをいただきました。
頑なにバターケーキだけ。それがひとを惹きつけます。 y.terai

創業70周年 社員旅行で広島へ

2025年03月20日
5年に一度ですが、スタッフへの日ごろの慰安と親睦の意味を兼ね、1泊2日で社員旅行を実施しています。

ちょうど今年が創業70周年でその当たり年。毎回、仕事の都合が比較的つきやすい2月に行くようにしています。

それで社員研修とかこつけさせていただいていましたが、2/18・19で広島へ行ってきました。

なかには広島が初めてのひともいるので広島の基本のきを押さえます。1日目は皆で八丁堀から本通り商店街経由で平和記念公園へ向かい途中に昼食で広島焼、平和記念公園散策後は一旦自由行動にして、夕方宿泊のホテル集合で流川近くの郷土色満載の居酒屋で楽しみました。2日目は朝から皆で宮島へ行き そろって厳島神社参拝後、昼食にあなごめしをいただき、その後は帰りの新幹線にあわせて夕方に広島駅集合で再び自由行動。とこんな具合に定番をおさえながら、各個人の好みもあるので自由時間をたっぷりとったスケジュールでした。

皆さんそれなりに楽しめたようでよかったのですが、予想外で残念だったのが広島平和資料記念館(通称;原爆資料館)が休館だったこと。先に日程が決まっておりすっかり年中開館とも思い込んでいたので調べることなく、行ってみて初めて知り愕然、呆然・・・。

後の祭りながらwebサイトで確認すると年末2日間と2月中旬の3日間に限り休館されるようです。そこにズボッとハマってしまいました。

ここと宮島はマストと考えプランしていたにも関わらず、よりにもよってわたしのヌケサクぶりを露わにしてしまいました。Uuuu・・・。世の中に絶対はないのだと平和都市広島で改めて思い知らされました。

スタッフには戦争の悲惨さ、愚かさと平和のありがたさをストレートに肌身で感じずにはいられない資料館にはぜひ行く機会をもってもらいたいと願っています。   y.terai