能登を思います

能登の度重なる自然災害後、マスコミの報道だけで現地の生の状況がずっと気になっていました。
能登にはわたしなりにいくつかの思い出があります。
高校生の頃、鉄道好きの友人3人で国鉄と路線バスを乗り継ぎ真冬の半島を一周した思い出。波の花を初めて目にしました。そして帰るころには大雪になり、金沢から乗る予定の急行きたぐにが相次ぐ他列車運休のなかどうなるか果たして帰れるのかしらと心細く思案していたなか大幅に遅延しながらも到着、そして満席すし詰め座れずにようやく出発したのはよかったのですが、今度は途中の南条駅で何時間も足止めされ淀む空気の車中で心身ともに疲れはて気分が悪くなりホームに出て降り積もる雪のなかへたりこんでしまったのを想い出します。さらにようやく帰れはしたものの輪島の朝市で家族へのお土産にと買っておいたわかめがビニール袋のなかで台無しになってしまっていてがっかりでした。
また大学生の頃、サークルの夏合宿が富山・氷見であったので、野郎ばかり数人で車を借り能登まで足を伸ばし、当時の国鉄輪島駅で野宿をした思い出もあります。当時は誰もが運転免許取りたてで、能登金剛あたりと千里が浜なぎさドライブウェイでトラブったような記憶が残っています。
そんな苦い思いをしながらも、その後も迫力ある七尾の青柏祭を拝見したり、和倉温泉にゆったり浸かったり・・・。と再訪しているのは荒々しくもそれ以上に優しさを感じられる能登に惹かれてのことだったかといまになって感じています。やっぱり「能登はやさしや土までも」ですね。そして春になったらまた一人ぶらりと行ってみようかとプランニングを進めていた矢先での災害発生でした。
それで店では少しでも復興の力になれればとパナソニックフェア記念品に能登産品を採用させていただいたり、忘れてはいけないと目立つところにメッセージボードを掲げたりしてきましたが、現地に赴くのは復興ボランティアに参加できるわけでもなくその様子を遠目に拝見するだけでは被災された方々に失礼極まりないと考えいままで自重してきました。
しかし大地震から1年、そして豪雨災害からも半年近くが経ち主要道路も繋がりつつある現状を知り、復興の邪魔にならない程度であれば旅人も受け入れていただけるのでは、そして現状を知ったうえで能登復興の思いをより強くもてれば許していただけるのではと勝手な考えが芽生え、恐る恐るながらも先日日帰りで訪ねさせていただきました。 続く y.terai