創業70周年 社員旅行で広島へ

2025年03月20日
5年に一度ですが、スタッフへの日ごろの慰安と親睦の意味を兼ね、1泊2日で社員旅行を実施しています。

ちょうど今年が創業70周年でその当たり年。毎回、仕事の都合が比較的つきやすい2月に行くようにしています。

それで社員研修とかこつけさせていただいていましたが、2/18・19で広島へ行ってきました。

なかには広島が初めてのひともいるので広島の基本のきを押さえます。1日目は皆で八丁堀から本通り商店街経由で平和記念公園へ向かい途中に昼食で広島焼、平和記念公園散策後は一旦自由行動にして、夕方宿泊のホテル集合で流川近くの郷土色満載の居酒屋で楽しみました。2日目は朝から皆で宮島へ行き そろって厳島神社参拝後、昼食にあなごめしをいただき、その後は帰りの新幹線にあわせて夕方に広島駅集合で再び自由行動。とこんな具合に定番をおさえながら、各個人の好みもあるので自由時間をたっぷりとったスケジュールでした。

皆さんそれなりに楽しめたようでよかったのですが、予想外で残念だったのが広島平和資料記念館(通称;原爆資料館)が休館だったこと。先に日程が決まっておりすっかり年中開館とも思い込んでいたので調べることなく、行ってみて初めて知り愕然、呆然・・・。

後の祭りながらwebサイトで確認すると年末2日間と2月中旬の3日間に限り休館されるようです。そこにズボッとハマってしまいました。

ここと宮島はマストと考えプランしていたにも関わらず、よりにもよってわたしのヌケサクぶりを露わにしてしまいました。Uuuu・・・。世の中に絶対はないのだと平和都市広島で改めて思い知らされました。

スタッフには戦争の悲惨さ、愚かさと平和のありがたさをストレートに肌身で感じずにはいられない資料館にはぜひ行く機会をもってもらいたいと願っています。   y.terai

駅弁、駅そば・・・米原「井筒屋」さんありがとうございました

2025年02月03日

米原の井筒屋さんがこの2月で閉業されるとの報道を受け、懐かしさに癒されたく居ても立ってもいられなくなり先日お伺いしてきました。

子供の頃は当たり前のように国鉄の主要駅にはその土地ならではの駅弁がありました。私が住む大津駅でも駅弁がつくられ売られていたんですよ。そう萩乃家さんでした。

その当時の時刻表にはページに掲載されている鉄道線にひもづけて、その欄外に駅名と販売されている駅弁名が所狭しと並んでいたものでした。そしてそれらを眺めては旅の妄想を膨らませてましたね。

コンビニやホカ弁などなく、スーパーですら箱詰めの弁当が売られていたかどうか・・・そんな時代に生まれ多感な時期を過ごしたものには、駅弁や駅そばがひとつ減りふたつ減りそしていよいよ絶滅危惧業種になってしまっている現状が寂しくてしかたありません。

当日お昼は米原井筒屋の代名詞である「湖北のおはなし」ときつねうどんを井筒屋キッチンでありがたくいただき、そしてお土産に予約していた「鱒寿し」をその晩に家族で食しました。

Ah~、でもご苦労様でした。ありがとう、おいしかった・・・  y.terai

追記;井筒屋さんの他に、敦賀・塩荘さんの「鯛の舞」が映っているのは午前中に三方五湖へカモなどの渡り鳥に会いに行ってたからですね。まぁ、思い出にご愛敬ってところでよろしいかと・・・一緒に納めた一枚でした。

 

正月旅 小豆島

2025年01月08日

エンジェルロードを部屋から眺められる宿に泊まり、朝の引き潮の時間帯に島へ渡りました。

これが近くからはひとつの島に見えていたのですが、このあとお伺いした眺望抜群の西之瀧さんから見ると3つの島であることがよくわかり驚きでした。何事も遠近両方で見ないと本質はわかりにくいのですね、勉強になります。

前日に迷路の街「土庄」はレンタサイクルで十二分にうろつきまわったので、今回の旅の最大目的地「オリーブ公園」に向けレンタカーを借り9:00に土庄の街を出発です。

その途中、地元で敬われ親しまわれている巨樹としてNHKで以前に紹介された土庄郊外・宝生院のシンパクさんが気になっていたので、お会いしに立ち寄りました。

そうして朝一に神聖で清々しくありながら力強い生命力を感じるお姿や周りの空気に触れ、すっきりした心持ちでオリーブ公園へ向かいます。ここは同行した娘たっての希望があった場所。芝生の丘に建つ風車をバックに貸出の箒に乗り、「魔女の宅急便」の主人公気分に写真が撮れます。が・・カメラマンがド素人のわたしなので数えられないほどのtakeを重ねたのでした・・・トホホホホ・・・。

このあとは前出の西之瀧さん立ち寄り後、棚田広がる中山集落を眺めながらホッコリ滋味あふれる食事のできる「こまめ食堂 」で棚田のおにぎり定食をいただきました。小さいながらも鯛の素揚げがまるまる一匹ついており、棚田米とあわせてわたしの体は満足にフル充電状態となりました。さぁ次の最終章へLet’s go!です。

コース最後のデザートはわたしの大好物・趣ある街並みめぐりで、「醤の郷」と呼ばれる馬木と苗羽の集落を訪ねました。そこでの街ブラ後は、醤の郷から車で30分ほどかかる出港地福田のフェリー時間にあわせて「小豆島酒造cafe」で抹茶オレをいただきながらのんびりと島時間を振り返りました。

 

そして福田港から、Ahaaa・・・・明日から仕事だな・・・小豆島よまた逢う日まで、ゆったりほっこりを残しておいてねと願いつつさよならしました。  y.terai

正月旅 まずは高松!

2025年01月07日

高松に立ち寄ってから、小豆島へ行ってきました。

まずは高松、丸亀町あたりを散策。高松市はわたしが住む大津市と同じ中核市指定で人口は約41万人、四国では松山に次ぐ人口規模があります。大津市の人口は約35万人でわりと近いように思うのですが、街の華やかさは悲しいほど差を感じてしまいます。地域での経済的・商業的位置づけがここまで違いを生みだしてしまうのですね。大津は独自の経済圏をもてずに、京都経済圏さらに広範囲で見れば大阪経済圏に飲み込まれてしまっています。完全なベッドタウンですね。実際、隣町草津のほうが人口に関係なく賑やかで、近隣市町村から大津へわざわざ買い物に来ることなどないのが現状です。

そうなったのは、京都の甚大なる影響力の強さと、湖と山に狭く細長くはさまれた地形で街のハブをもてなかったこと、堅田・坂本・大津・膳所・石山・瀬田と出自の違う街が時代の要請でくっつきながらもどんぐりの背比べから抜け出せなかったこと、そしてここまでのことと大きく関係して決定的だったのが昭和後半からの交通体系が大津をpassするように形づくられてしまったこと・・・。それが住みよいながらも、物足りなさを感じるいまの大津にしてしまったのかなと改めて考えさせられました。

Haaa・・・、気を取り直すのに「えん家」で讃岐うどんをかっこんで、「umie」でゆっくり落ち着けたのち、まだ大津への歯がゆい想いを残しつつも小豆島へ高速艇で向かいます。     y.terai

 

 

年の瀬恒例のお伊勢さん詣で、そして・・・

2024年12月29日

毎年末にお伊勢さんへ一年の御礼と来年に向けてのご挨拶にお参りさせていただいています。同じような考えの人が多いと思われ、平日金曜にもかかわらず外宮、内宮とも駐車場は満杯でかなりの人出でした。なかには仕事納めで会社で来ている様子の方達もおられました。

 

今回はお伊勢さんの後、海女さんの信仰深い石神さんを訪ねてみます。相差にはわたしが小学生の頃家族で海水浴に来ているはずですが、石神さんの記憶はありません。

ただし必ず行っているはずの千鳥ヶ浜海水浴場も覗いてみてこんなんだったかな~もっと広い浜を想像してたな~って感じなんであてになりませんが・・・

石神さんは地元の海女さんの信仰が深く、そこから女性のただ一度の願いを叶えてくれるパワースポットとしていまや全国からお参りに来られます。

ちょうど昼時だったので食べログで目星をつけていた海の食堂久兵衛で海鮮をいただこうと目論んでいましたが、残念ながら当日はお休みでした。そこで詰め詰めのスケジュールでじっくり考える時間はなく、石神さんから駐車場までの通り道にある「おうさつキッチン」で意趣変えして雑魚バーガーをいただきました。これはこれで地元の街おこしに発案されたもので相差ならではでよかったかと思います。

相差の後は不思議感漂う渡鹿野島にある福寿荘で日帰り温泉を楽しみました。何が不思議かは渡鹿野島がたどってきた歴史にあります。興味ある方はお調べください。

それで行程最後にいま話題のVISONに立ち寄ってみました。広い敷地にこだわりがいっぱいつまった場所。感性が合う人には立ち寄りでは全く物足りないのでしょうが、私的には「ホッホ~なるほどこれがVISONね」って感じで足早に予めチェックしておいた鈴木水産の鯛のだし茶漬けと井村屋のみたらし団子を食し、お土産に井村屋の当地限定饅頭を購入し1時間少しで後にしました。還暦男一人ではまぁここまでですね・・・

また来年末にお伊勢さん!もちろん神宮が第一の目的地なんですが、自分なりの楽しみを見つけ出しながらこの先も続けていくつもりです。   y.terai

気になっていた元有料観光道路「エンゼルライン」をドライブしてきました

2024年11月26日

関ヶ原を出発し神田PAで越前おろしそばを食し終わったのが11:30頃。

それで次に向かうは小浜のエンゼルライン。左右に越前岬や丹後半島・小浜湾の眺望が広がる久須夜ヶ岳山頂まで続くドライブウェイです。突端の海面部が小浜港から観光船も出ている蘇動門(そとも)にあたります。開通当初は有料道路ですでに50年以上の歴史を刻んできました。

そうなんです・・・わたしが時刻表から始まって地図そして地理に目覚めだした10代の頃、地図を眺めてなんでこんな中途半端そうなところに有料道路があるんやろ、誰が行くんや??と不思議に感じた場所です。当時はいまほどマイカーは普及していませんでしたし、高速道路も主要大都市間だけで福井のそれも若狭までわざわざ車で行くような人は稀であったと思います。それも地元以外では久須夜ヶ岳といってもそうそう知られていなかったでしょうし・・・なぜなぜなぜのオンパレードですね。懐かしく当時を思い出します。

それから50年、忘れ去っていたのですが関ヶ原から神田PAまでは決めたもののその後どこにいこ?と地図を眺め算段していたら、眺望よしマーク並ぶエンゼルラインが目に飛び込んできました。いまなら舞鶴若狭自動車道もあり難なく行けますし、そこから東舞鶴で八島アーケードあたりをレトロ街ブラ、舞鶴ちゃんぽんを食して綾部温泉二王の湯でひと風呂あびて帰るのもありかと、一気にプランが定まりました。

エンゼルライン、いまは無料で通れる観光道路です。時期的にまだ多少残った紅葉もありすれ違う車が数台ありました。絶景とまでは言えませんが50年前を思えばなかなかのものだったのでしょう。ただし期待ほどの成果があがらずに一般道になったであろう経緯を思い、また子供の頃の不思議とリンクさせながらセピアな時間を過ごしました。  y.terai

箱館山 コキア色づく

2024年10月14日

スポーツの日、秋晴れのもと行ってきました。

9:30始発のゴンドラが動き出す時刻に間に合うように到着しましたが、すでに100名程度の人と連れの多数のワンちゃんが列をつくって待っている状況でした。

といってもゴンドラには6名が乗車できるうえに次から次へと発車するので、まだ人出の少ない時間帯に山頂を散策でき、人気のランプパフェも並ばず食せたのでよかったです。注目の映えスポットでストレスなく気持ちよく過ごすにはやっぱり朝一ですね。

このあと朽木温泉てんくうでさっぱり汗を流して、心身ともにリフレッシュして戻ってきました。      y.terai

 

東吉野村 追記

2024年09月09日

昼食はきのこづくし。人気店なんですが、一人くらいなら開店前に声かけりゃどうにかなるかと10:50にアポなし来店。店前にライダー数人が固まってオープン待ちしていました。

予約ですか?と初めに声をかけてくれた店員さんには13:00過ぎなら・・・と渋がられましたが、奥から気のいいおかみさん風の方が11:30の団体予約前までになんとかしてくれたら・・・てな感じで受けてもらえました。なんで網焼きできのこが食べごろになってからの実際の食事時間は15分程度。キノコごはん、キノコ汁、キノコ惣菜3点盛り、大根餅とあわせてのコースをかきこむようにいただきました。あっそう、わたし同様ぶらり一人の男性が少し遅れてもう一名入って来てくれたのは心強かったですネ。

まぁ善意で組み込んでいただいたので文句は言えません。次回お伺いすることがあれば、川魚炭火焼も併せてゆっくりと堪能させていただきたいと思います。

また東吉野村には日帰り温泉施設が2カ所もあります。わたしは「たかすみ温泉」にお邪魔しました。質素で清潔、ちょうどよいお湯加減でのびやかに体をケアできてとてもよかったです。     y.terai

辰年生まれなもんでして、今年のうちに行っておかなきゃってことで・・・

2024年09月09日

今年3月で還暦を迎えまして、わたし辰年生まれです。

それで、干支の当たり年のうちに行っておきたかったのがこのお宮様。

前に置いた龍玉に願いを込め、その下部に開いている小穴に3度息を吹きかけてから神域の滝つぼに投げ込むとご利益があるといわれています。

ネッ、行っておかにゃいかんでしょ!

 

それでもって多少の無理をスタッフにお願いすればスケジュールが調整できそうと前日に名張駅でのレンタカーの手配も間に合わせ、急遽9/8(日 )にお伺いしてきました。

スタッフの皆様、ご協力ありがとうございました。

叶うかどうかは今後のわたしの精進次第ですが、まずは願いが届けられてよかった。励みになります。

アレッ、どこのお宮様かって?奈良県東吉野村に居られます。

アッそうそうおみくじも次のとおりで、龍の陶器をお使いでした。  y.terai

 

浜松中山間地域「佐久間、水窪」に行ってみました

2024年09月07日

台風10号接近でJRはじめ公共交通機関が乱れるなか、8/28に浜松へ行ってきました。

当日18:00プレーボールで名古屋バンテリンドームでのプロ野球観戦チケットを手に入れていたので、それまでの時間に近隣で以前から気になっていた地域を巡ってみようと選んだのが、いまは浜松市天竜区に属する旧佐久間町と旧水窪町でした。

なぜそこまで気になっていたのか?と考えてみますと、たしか小学生の時だと記憶していますが、日本の高度成長期のシンボル的建造物として黒四と並んで教わった佐久間ダムの存在。そして同じく小学生の頃「JTB時刻表」をながめていて、山間地域ながら飯田線沿い水窪町にバス路線が集まっていた記憶・・・そんなこんなで琴線に触れずっと気になっていたわけですね。

 

 

 

それで訪ねる前に佐久間・水窪地域が昭和30年頃は賑わっていたであろう資料がないかとインターネット検索で調べてみたら、概算ですが人口データが見つかりました。当時はこの山あいの狭いエリアに35千人以上が住まれていたようです。なんといまなら市政施行できる規模ですね。それがこの半世紀で過疎化が進みそれも近年に加速しているようでいまや当時の十分の一ほどに減ってしまっています。

そこでわたしの幼少期にあたる日本高度成長期を強くしっかりと支えてくれた佐久間ダムに還暦を迎えたいまこそ敬意を表し現地で詳しく知りたい、そして昭和中期に繁栄を極めたであろう塩の道沿い水窪商店街の現状はいかほどかこの目で確かめておきたい。それが旅の目的になりました。

まぁ行ってみてなにがあったわけではないですが昭和への強い郷愁を感じられたうえに、自分としてはなによりも 気分的にすっきりしたことがよかったですね。

誰しも気になる対象は違うものの、解決しておきたいすっきりしておきたい課題はありがちなこだと思いますがいかがでしょう?    y.terai