多治見へ行ってみました
名古屋から快速で40分少し、特急しなのならわずか20分少しで到着します。そうJR利用なら名古屋の充分な通勤通学圏なんですが、途中山間部をくぐりぬけねばならず、それも岐阜県に入ることもあり名古屋近接のベッドタウンとは違う雰囲気を感じれます。
まぁ都市圏の立ち位置としては私が住む滋賀県大津市の関西圏におけるそれと似ているようにも思っています。
それで何気に気にかかっていながら通過ばかりしていたこの街へ行ってみることにしました。
まずは言わずと知れた美濃焼の街、そして真夏になると埼玉・熊谷と競いあうようによくマスコミに取り上げられる日本一暑い街のひとつでもあります。ただ多治見は写真のとおりそれだけの街ではありませんでした。
多治見周辺に全く馴染みのない関西人にはどこの景色やねん、北海道?・・・京都?・・・ってとこやと思います。私も行くにあたり下調べするまでここまでのものが揃っているとは知りませんでした。北海道?のは名古屋の名門私立南山学園のルーツともいえるカトリック神言修道院、京都?のは国宝建築を2棟も擁する臨済宗寺院永保寺です。それもこの2軒はどちらも虎渓山エリアにありちょっとした山歩き程度で移動できるので、そこと少し離れた街の中心オリベストリートとをあわせれば充実した半日観光コースができそうです。
どうです、関西の皆さん!名古屋とくっつけて旅してみては。大手旅行社だと名古屋とのパックでよくジブリパークやレゴランドがありますが、私みたいな渋好みの方には多治見を瀬戸や岡崎と並んでお勧めします。 y.terai
追伸;名古屋までは大和八木からの乗車で、近鉄特急ひのとりプレミアムシートを利用しました。
関西の人気行楽地巡り②
淡路島北部へ神戸三宮から高速バスでGO!
まずは朝一空いてるうちに季節の花を愛でに国営明石海峡公園&淡路夢舞台・百段苑そしてあわじ花さじきへとまわりました。当日は見てのとおりの超快晴。家に帰って自分の顔を鏡に映すと、笑っちゃうくらい鼻の頭まっかっかで、どうもこの時かなりの紫外線にやられていたようです。
日よけにバケットハットを持参していたのですが、わりと風が強くろくにかぶれなかったのも鼻頭まっかっかの一因でした。
それでかぶらずに持ちあるいていたバケットハットが、公園帰りのバスを岩屋港で降りてふっと気づくと見当たりません。アチャちゃどうしましょう・・・それ60才を迎えた誕生日に家内からもらったプレゼントのひとつなんですよ・・・・・・
記憶をたどると、どうも花さじきで落としたか、置いてきてしまったか・・???こりゃ、やばいよヤバいヨ。
まずは花さじきインフォメーションセンターへ問い合わせの電話をしますが、いまのところそのようなものは届いていませんとのこと。
こうなりゃ花さじきに戻って思い当たるエリアを家捜ししなきゃ! なんですが花さじきへ行くバスの時刻までかなりあります。落ち着け、さらにこうなりゃ慌て過ぎずにせっかくの淡路島を楽しむことも忘れずにってことで、岩屋集落内を頻繁に行き来するバンバンバスを利用して時間の許す限り美湯松帆の郷で気が気でないながら湯ったりタイム&生しらす丼ランチタイムにあてました。
で、ようやく花さじきの心あたりのエリアに戻ってみると、目につくところ優しげにどなたかが見覚えのあるバケットハットを置いてくれていました。無くしてから3時間以上は経っていたでしょう。GW真っ盛り。家族連れで駐車場満杯、園内も相当の人出の状況のなかでありながら・・・
わたしもそういう人でありたい、本当にありがとう。あなたのおかげで気を揉むことなくすっきりと淡路島を後にできました。次は誰かにわたしが善意のリレーバトンを手渡します、必ず。 y.terai
関西の人気行楽地巡り①
60才になって、いまさらなんですが飛鳥・斑鳩と淡路島北部をGW別日でぶらついてきました。
どちらも京阪神から日帰りで気軽に行ける人気行楽地ですが、自分の興味のド真ん中になかったので、いままで岡寺、法隆寺、淡路SA、野島断層など単発でつまみ食いはさせていただいていたものの、その地域をしっかり巡検?するってことまではできていませんでした。
今回の飛鳥石造物、淡路島お花畑の他にもまだまだありそうですが、大学生活4年間以外はずっと関西で生活してるんやから、世界中、日本中はもう無理にしても、せめて関西で気にかかったところがあるのなら見残すことなくどしどし訪れたい・・・行けるうちに行っておこう。そんな感じです。
それでまずは飛鳥行き。そのきっかけは、いつもかかさず見ている『ブラタモリ』。石舞台、酒舟石、水落遺跡、飛鳥寺、甘樫丘、高松塚古墳、キトラ古墳を電動自転車で巡りました。
古代はあまりにも遠くわたしのちっぽけな頭ではロマンというまでにはその想いは 膨らみませんが、残されたものたちをとおして古代の人々がいまを生きる我々に警鐘を鳴らしているようには感じました。
「自然への畏敬の念を忘れちゃいけないよ。行き過ぎたひとりよがりな文明は身を滅ぼしかねないからね。多様性を認めながら調和していくことが大切だよね。それぞれが許しあえる高めあえるにはどうすればいいんだい?よく考えてみなよ。」 y.terai
P.S.飛鳥から斑鳩への公共交通機関利用は、近鉄筒井駅から法隆寺前経由王寺駅行き奈良交通バスが便利です。
また西大寺駅立ち飲み処「蔵元 豊祝」は、食べログで西大寺駅コンコースとなっているので改札を出て駅構内および駅周りを30分ほどウロウロキョロキョロしてしまいましたが、駅ナカ商業施設内でしたのでご注意ください。
埼玉県の建造物で唯一の国宝は?
それは熊谷市に含まれる旧妻沼町にある歓喜院聖天堂です。平成24年に指定されました。工芸品や典籍、考古資料については国宝指定があるようなんですが、建造物としては県唯一です。
埼玉県は「翔んで埼玉 琵琶湖より愛をこめて」の影響で、近頃滋賀県民には親近感ある存在となっています。が、なかなか大宮より遠くに足を運ぶ滋賀県民は数少ないかと思います。
私にとっても埼北地域は未開拓で、渋沢栄一ゆかりの深谷にも行きたいかななんですが、今回は時間の関係で妻沼と熊谷市街への訪問となりました。ちょうど木曜平日にも関わらず聖天様では縁日屋台が立ち並んでお祭りがにぎやかに行われていました。国宝・ 聖天堂についてはボランティアガイドさんの丁寧な説明でとても勉強になりました。
妻沼は以前熊谷から東武鉄道が他路線と切り離されたかたちのなか走っていて、時刻表を眺めていて子供心に何があるのかなと気になっていたことも思い出しながら懐かしく門前町を散策させていただきました。
あと興味深いのは聖天堂初め先に挙げた三峯神社、秩父神社、それに有名な日光東照宮もそうですが、建物が関西では見られない鮮やかな色使いで彩られ目を引くこと。個人的にはただ派手というのでないその落ち着いた煌びやかさに魅了されます。
そして熊谷市街へ。ここで気になっていたのは八木橋百貨店と熊谷うどん。前者は私が8年間阪急百貨店にお世話になっていたことがありいまでも地方百貨店の行く末が心配でどこに行ってもそこに百貨店があればついつい様子を見に立ち寄ってしまいます。でさらに心配が深まるんですが・・・
熊谷うどんはこのあたりが小麦産地で地産地消のおいいしい逸品。細めのつけめんでつるつるいけちゃいます。〆に居酒屋いなほで癖あるマスターをあてにお酒をいただき、日本一熱い街・熊谷、ラグビーの街・熊谷を後にしました。 y.terai
東京に最も近い国立公園は?
旅してます
天城越~え
伊豆下田では駅からペリ-ロードまでのエリアを1時間ほどうろうろ。点在するなまこ壁の建物や、川端に柳の枝が揺れるペリーロードを散策。そして駅への戻り途中、昭和の香り漂う商店街にどっぷり溶け込んだおにぎり&和菓子の店『ふじ乃屋』に遭遇し「道中どこかで食べるやろ・・」とおにぎり2ヶと虎の皮なるどら焼きを購入しました。
そして駅前のトヨタレンタカーで軽自動車を借りて下田を出発。天城越えをして 修善寺駅で車を返すワンウェイプランでの予約です。
その道中で最も執着したのが旧天城トンネルを通りぬけること。これが思いのほか大変でした。結果的に下田側からは通行止めだったのですが、その案内が見当たらず一般車では危険を感じるオフロードをしばらく走行するはめに。そんなこんなで引き返すことにしたもののあきらめきれず修善寺側にまわってみると旧天城トンネルまでなんとかたどり着けそうだったので、ここまできたら行くしかないでしょとこれまたガタガタ道を轍にはまらぬよう気をつけ気をつけ進みました。そしてやっとの思いで到着し、トンネルを一往復。思いが叶いましたヨ、ありがとう。
その他は定番の河津七滝、浄蓮の滝へ立ち寄った後、湯ヶ島温泉公衆浴場『河鹿の湯』でひとっ風呂!浴槽とシャワーのない洗い場だけのあくまでも地域民むけの簡素な設備に好感がもてました。邪魔しない程度で失礼させていただきます。
そして 駅で車を返す前に雰囲気だけでもと修善寺温泉街にちょこ寄り。ご利益あればと独鈷の湯に軽く手をつけ、大急ぎで真ん前の温泉名由来・修善寺をお参りしました。
そしてこの度の旅もフィナーレへ。伊豆箱根鉄道に乗り伊豆長岡駅でバスに乗り継ぎ駿河湾に面する沼津へ向かいます。沼津まで出ればその日のうちに大津まで帰るのに時間がしっかり読めるようになりますネ。あとは時間が許す限りの沼津ステイです。
以前から興味があった御用邸公園に途中立ち寄り、16:30閉園に間に合うよう急ぎ足で隅々まで見学した後、当初予定ではそのあとまだ深海魚水族館へも行くはずでしたが、一日中あまりに目まぐるしくまわってきた反動かこれ以上見るよりも食べるほうに時間をさこうかと思い直すことになり、その場で急遽海鮮居酒屋で評価の高い駅北口『海老や』を17:30で予約しました。
なめろう、あじフライ、ねぎま串、それにどこへ行ってもそこのメニューにあればオーダーしてしまうポテサラをあてに飲み、最後の〆は海老や名物まご茶なる漁師茶漬けをおいしくいただきました。どうもごちそうさまでした。 y.terai
40数年来念願の河津桜を愛でれました
東京で過ごしていた大学生のころ、当時はインターネットなど一般的にその影もなく、レジャーやイベントの情報源はもっぱら紙媒体 かテレビニュース。河津桜の噂は耳にしていましたが、いまほど大々的に取り上げられることもなくそれとなしにやり過ごしているうちに就職で関西に戻ってきてしまいました。
その後季節の風物詩としてマスコミ全般に徐々に取り上げられ始め、ネット社会のいまとなっては全国から多くの人が集まるまでになっています。
わたしも10年ほど前から再び今度こそはと考えだしたのですが、なにせ自然相手だけにこちらの都合とうまくあわず残念に過ごしていました。
そして今年、いよいよ2/21(水)に行く予定を元々はたてていましたが「どうも早いらしい」と、テレビニュースで気づき公式HP等でチェックしもって急遽前倒しを検討。それで夜行バス最後の一席がギリギリとれそうだったので、2/15(金)の仕事を調整し個人的にお休みをいただき2/14(木)京都駅22:58発夜行バス金太郎号で向かいました。
金太郎号は沼津駅に夜行バスあるあるで運行スケジュールより随分と早着。それはまぁ折り込み済みで河津へ7:46に到着できました。
シーズン真っ盛りに来れたので、平日朝8時前にも関わらずすでにそこそこの人出。たくさんある露店がどこも急ぎで開店準備をしていました。河津川沿い上流部まで往復2時間弱、花を楽しんでから駅に戻ります。途中地元のスーパーアオキが出している露店でサンマ寿司ハーフを購入し、駅での待ち時間にいただきました。
そして次の目的地下田に向かうべく9:44着発伊豆急下田行きリゾート21黒船号を出迎えます。到着した列車からは途切れることなく下りてくる人々人々の波。そう時間帯的にはこれからなんですネ。
人込みが苦手なわたしは入れ違いでよかったとホッ。
いざ下田へ。河津で空いた先頭車両に乗り込み、展望を楽しむことにいたします。 y.terai
*写真は伊豆急下田駅到着後のものです。なので熱海行き・・・
正月旅③ 広島の多様性を感じる
昼前に宇品港に上陸。港前の公園でちょうど消防出初式をされていて横目に見ながら進みます。まずは昼の腹ごしらえ。広島お好み焼きを気取らず地元民向けに営業されている「しんちゃん」でいただきます。豚玉そばあり550円でちょっと昼飲みハイボールってとこでした。どうもごちそうさま。
そのあと大好きな市内電車にゆられ街の中心部へ。次の目的は原爆ドームそば元安橋からのリバークルーズなんですが、30分弱の待ち時間があったので平和記念公園内レストハウスを訪問。ここは映画「この世界の片隅に」で大正屋呉服店として描かれた場所で、その被爆建物を活用した資料館が併設されています。そこで現在の平和記念公園こそが被爆前広島一の繁華街・中島町であり、それが投爆ターゲットになる一因であったことにいまさらながら気づかされました。
そして出港時刻となり乗り込んだクルーズ船は岸を離れ元安川をゆっくり遡り始めました。乗船スタッフの案内を聞きながらほぼ完成に近づいてきた再開発中の紙屋屋町周辺の景色を25分間楽しめます。
下船後は原爆の子の像など平和記念公園北側をゆっくりと散策し、本川小学校平和資料館に伺います。本川小学校では原爆投下により約400名の児童、10名の教職員の尊い命が犠牲になりました。奇跡的に助かったのはわずか2名、その貴重な証言や資料などを目にすることができます。
そして再開発進む街を突き抜け隣接する基町高層アパートにお邪魔させていただきました。以前NHK広島局制作のドラマを見たことがあって、それから気にかかっていた場所です。原爆投下で焼野原になったこの場所に、戦後身寄りや住いを失った多くの人達が居場所を求めて集まり、日本がそして広島が落ち着くまでの長い間、辛抱強くバラックで生活されていました。そこで戦後復興最終段階にようやく都市計画の一環としてそういう方たちの新しい住居に建築されたと理解しています。
ただ入居が始まってすでに50年近くが経過。かなりの数の住民が入れ替わり、建物内の商店街を歩くと隣接の再開発エリアの整然さとは対照的に多種多様なカオスを強く感じます。さぁ失礼のないうちに街に戻りましょう。
次に向かうは別名・鯉城と呼ばれる広島城。広島東洋カープチーム名の所以です。お城は外観をじっくり愛でるのがわたしの流儀。今回も城内には上がりませんでした。そして観光最後にいままで行けてなかった縮景園を散策しました。
この時点で16時ころ。明日からいよいよ仕事はじめ。なのでそろそろ巻きに入ってギアチェンです。
縮景園から八丁堀へ出るちょうど中間地点くらいに、立ち飲み「そらや」があります。辰年正月にふさわしい地酒銘柄・龍勢(竹原・藤井酒造)で、かきぽん、炙りさわら、名物ポテサラなどをおいしくいただきます。
そして八丁堀・福屋百貨店で目星をつけていた「あきもみじ」初め、家族にほんの気持ちお土産を購入し、その足で本通り商店街、袋町、流川、薬研堀とさまよい歩きました。すでに「そらや」でビール、日本酒、自家製梅酒とほどほどにアルコールはいただいていたのと、明日を考え広島駅発19時過ぎののぞみに間に合わせて帰りたいこともあり、最後締めの麺類で好みに合いそうなのを探しました。そこで名物・ねぎラーメンの文句を店先で見つけついつい入店したのが、薬研堀の街中華「龍王」。これも後で気づけば今年の干支つながりでした。なんせ今年、わたしが年男なもんでそうさせたのでしょうか・・・
今回の広島はいつになく地元民っぽくすごせたかなと思います。暮らすように旅をしたい。広島はやっぱり肌に合うようです。 y.terai