明延探検坑道、いまにも操業再開 しそうなリアリティさが魅力

 近代化産業遺産・・・自分は日本の高度成長期に生まれ育ち、社会に出る頃はちょうどバブル期でいつまでも無限大に物質的発展が続くように感じていました。その礎を築いたレガシー達。セピア色した哀愁にも根っこのしっかりした力強さを醸し出すつわもの達。わたしは彼らに心を強く惹かれます。

これまでに世界遺産認定の長崎・軍艦島、福岡・三池炭鉱遺構、八幡製鉄所遺構、島根・大森銀山遺構、群馬・富岡製糸場や、碓氷峠鉄道施設遺構、愛媛・別子銅山遺構、舞鶴赤レンガ遺構などへ訪れたことがあります。

そして今回日曜日に個休をとって、岡山・閑谷学校、兵庫・明延鉱山と生野銀山の鉱石の道を巡って来ました。

今回含めいづれの遺構もいまの豊かさにつながる先人の苦労と、その時代の躍動感が偲ばれます。

ただそのなかで明延には少し異質さを感じました。そこには他のところでは感じなかったいまにも操業再開しそうなリアリティさが残っていたのです。

それをなるほどと思わせたのが地元の現地案内の方のお話し。明延にはまだ相当のポテンシィアルがあると閉山近くにわかったが、そのときにはすでに閉山へのカウントダウンが始まっており間に合わなかったというようなものでした。

当時よりさらに世の中はグローバル化し、現実的に日本の鉱山で採算をあげるのは益々困難になっています。その鉱石の希少性=価値と、利益を上げられるだけの技術および効率化の両面だと考えますが、明延の話は全くの夢物語でないように思います。いや現地に立てばそのように思わせてくれます。

明延に操業当時の雰囲気が色濃く残っているのは、まず明延の山深い地勢的要因が人を寄せつけにくいこと。そしてそこに起因して三菱が生野のような大勢を呼ぶ観光事業の成立を考えていないよう様子で、実際に坑道案内や一円電車などのイベントは地元有志が日祝など限られた日数で運営されており、その日だけの適度な賑わいで済んでいること。これらにより守られていると思います。

『名は体を現す』で、坑道の名前も他の鉱山でよくあるのは観光坑道ですが、ここ明延は探検坑道!さすがです。

わたし的には非常に好ましい状況の明延ですが、唯一ネックになるとすればテライ電器定休の水曜日に通常であればイベントがないこと。まぁ、シーンとしたいまの明延を実感してみるのも一興かなと思わんことはないですが・・・ y.terai